五郎丸選手所属のヤマハの清宮克幸監督 [ヤマハ発動機ジュビロ]
五郎丸歩選手が日本で所属しているチームは、ヤマハ発動機ジュビロ。
ヤマハ発動機ジュビロを率いているのは、清宮克幸監督ですよね。
五郎丸歩選手とは早稲田大学でも師弟の関係にあったという清宮克幸監督。
どのような人物なのか調べてみました!
清宮克幸監督の出身は大阪市。
スポーツは小学生の時には野球を、中学時代にはサッカーをしていたそうです。
清宮克幸監督は、子供のころから体力が有り余る、元気のいいお子さんだったようです。
あまりの腕力の強さとエネルギーが有り余っている様子に、中学生の時に担任の先生に高校へ行ったらラグビーをやったらいいと勧められて、ラグビー強豪校の大阪府立茨田高校へ進学します。
茨田高校ではラグビーの才能を監督に見いだされ、1年生の時からレギュラーとして起用されます。
3年生の時には主将として全国大会出場を果たすとともに、高校生の全日本代表の主将も務めています。
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高校卒業後、早稲田大学へ進学すると、2年生では日本選手権優勝、4年生では主将として全国大学選手権に優勝していますね。
大学を卒業するとサントリーに入り、主将も務めています。
1995年にはチームは全国社会人大会優勝、日本選手権優勝を果たしています。
全日本代表はU23日本代表の主将としてアメリカ代表に勝利を収めていますが、残念ながらフル代表への選出はありませんでした。
2001年に現役を引退すると、すぐに早稲田大学ラグビー部の監督に就任し、関東大学対抗戦を全勝優勝へ導いています。
翌々年の2003年には13年ぶりの早稲田大学の全国大学選手権優勝も果たしています。
2005年と2006年には全国大会で連覇を達成し、指導者としての確固たる実力を発揮しています。
2006年の全国制覇の後、早稲田大学ラグビー部監督を勇退し、サントリーサンゴリアスの監督に就任します。
五郎丸歩選手が早稲田大学に入学したのは2004年ですから、1年生から3年生の時まで清宮監督の指導を受けていたことになるんですね。
2010年にサントリー監督を辞任し、東洋大学ラグビー部のゼネラルマネージャーに就任し、翌年2011年にヤマハ発動機ジュビロの監督に就任しています。
清宮監督が早稲田大学を連覇に導いた時のことについてインタビューを受けている記事を読むと、選手には勝つためにはどうしたらいいのか、と言うことについて選手にしっかりと考えさせて、イメージさせることを徹底しているとのこと。
「もしもダメなら」と言った余計なことは考えずに、勝利に向かう明確なイメージをチーム全体で共有させることで力を1つに結集することが、常勝チームを作り上げていくコツの様です。
また、ヤマハ監督に就任した時には、本社の業績不振によってチームの強化費が縮小されると言う、ラグビー部の存続が危機的状況にある時でした。
五郎丸選手も最初はラグビー専門のプロ選手として契約したのに、今はヤマハの社員として通常業務もこなしながら、プレーしていますよね。
優秀な部員はラグビーに専念できる環境を求めてチームを去っていき、トップリーグ降格の危機にあるチームの立て直しが、清宮監督に求められた仕事でした。
早稲田やサントリーは、黙っていても良い選手が自然と集まってくるエリート集団でしたが、無名選手ばかりが残った雑草集団となったヤマハを強くするためには、まずは体力作りが必要だということで、レスリングの五輪メダリストやボディビルダーをコーチに呼んで、体力作りから始めました。
エディ日本でも、外国チームと闘うための身体づくりが話題になりましたが、弱小チームを強くするために必要なのは、強靭な体作り何ですね。
選手たちにハードワークを課したために、就任して4年目の昨年2014年には日本一を達成しています。
清宮監督と言えば、甲子園を沸かせた平成のベイブ・ルースと呼ばれるお子さんの幸太郎君のお父さんとして、スポットライトが当たっていますが、指導者としてものすごい実力を発揮してきているんですね。
日本代表監督にも名前が上がる清宮監督。
これからの活躍が楽しみです!!
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ヤマハ発動機ジュビロを率いているのは、清宮克幸監督ですよね。
五郎丸歩選手とは早稲田大学でも師弟の関係にあったという清宮克幸監督。
どのような人物なのか調べてみました!
(president.jpより引用)
清宮克幸監督の出身は?
清宮克幸監督の出身は大阪市。
スポーツは小学生の時には野球を、中学時代にはサッカーをしていたそうです。
清宮克幸監督がラグビーを始めたきっかけは?
清宮克幸監督は、子供のころから体力が有り余る、元気のいいお子さんだったようです。
あまりの腕力の強さとエネルギーが有り余っている様子に、中学生の時に担任の先生に高校へ行ったらラグビーをやったらいいと勧められて、ラグビー強豪校の大阪府立茨田高校へ進学します。
茨田高校ではラグビーの才能を監督に見いだされ、1年生の時からレギュラーとして起用されます。
3年生の時には主将として全国大会出場を果たすとともに、高校生の全日本代表の主将も務めています。
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ラガーマンとしての清宮克幸監督の実績は?
高校卒業後、早稲田大学へ進学すると、2年生では日本選手権優勝、4年生では主将として全国大学選手権に優勝していますね。
大学を卒業するとサントリーに入り、主将も務めています。
1995年にはチームは全国社会人大会優勝、日本選手権優勝を果たしています。
全日本代表はU23日本代表の主将としてアメリカ代表に勝利を収めていますが、残念ながらフル代表への選出はありませんでした。
引退後は指導者の道へ
2001年に現役を引退すると、すぐに早稲田大学ラグビー部の監督に就任し、関東大学対抗戦を全勝優勝へ導いています。
翌々年の2003年には13年ぶりの早稲田大学の全国大学選手権優勝も果たしています。
2005年と2006年には全国大会で連覇を達成し、指導者としての確固たる実力を発揮しています。
2006年の全国制覇の後、早稲田大学ラグビー部監督を勇退し、サントリーサンゴリアスの監督に就任します。
五郎丸歩選手が早稲田大学に入学したのは2004年ですから、1年生から3年生の時まで清宮監督の指導を受けていたことになるんですね。
2010年にサントリー監督を辞任し、東洋大学ラグビー部のゼネラルマネージャーに就任し、翌年2011年にヤマハ発動機ジュビロの監督に就任しています。
清宮監督の指導の特徴は?
清宮監督が早稲田大学を連覇に導いた時のことについてインタビューを受けている記事を読むと、選手には勝つためにはどうしたらいいのか、と言うことについて選手にしっかりと考えさせて、イメージさせることを徹底しているとのこと。
「もしもダメなら」と言った余計なことは考えずに、勝利に向かう明確なイメージをチーム全体で共有させることで力を1つに結集することが、常勝チームを作り上げていくコツの様です。
また、ヤマハ監督に就任した時には、本社の業績不振によってチームの強化費が縮小されると言う、ラグビー部の存続が危機的状況にある時でした。
五郎丸選手も最初はラグビー専門のプロ選手として契約したのに、今はヤマハの社員として通常業務もこなしながら、プレーしていますよね。
(www.daily.co.jpより引用)
優秀な部員はラグビーに専念できる環境を求めてチームを去っていき、トップリーグ降格の危機にあるチームの立て直しが、清宮監督に求められた仕事でした。
早稲田やサントリーは、黙っていても良い選手が自然と集まってくるエリート集団でしたが、無名選手ばかりが残った雑草集団となったヤマハを強くするためには、まずは体力作りが必要だということで、レスリングの五輪メダリストやボディビルダーをコーチに呼んで、体力作りから始めました。
エディ日本でも、外国チームと闘うための身体づくりが話題になりましたが、弱小チームを強くするために必要なのは、強靭な体作り何ですね。
選手たちにハードワークを課したために、就任して4年目の昨年2014年には日本一を達成しています。
清宮監督と言えば、甲子園を沸かせた平成のベイブ・ルースと呼ばれるお子さんの幸太郎君のお父さんとして、スポットライトが当たっていますが、指導者としてものすごい実力を発揮してきているんですね。
日本代表監督にも名前が上がる清宮監督。
これからの活躍が楽しみです!!
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